わたしが同じ服を着続ける理由
どうも!ダイスケです!
今日は私服を紹介するよ~♪
(※紹介してくれなんて一言も言ってないのに身の丈に合わないブランド物を紹介する女子大生インスタグラマーではありません)
お気に入りの服
わたしはこの夏、農作業以外は、ほとんどこの服を着ています。
近くのスーパーの婦人服売り場で購入したもの。
(ちなみに500円で買いました)
日焼けした肩、
とれちゃったけど未だ付けていないボタン、
ボロボロの袖、
ヨレヨレの襟元
そして、、、
「婦人服売り場に置いてある洋服あるある」
聞いたことないブランド名!!!!!!
着たらすんごい手先が器用になりそうよねぇ
こんな最高な服が、他にあるだろうか、、、
ヘンリー・D・ソロー『森の生活』の一節
われわれの衣服は、着ている者の性格を刻印され、日々肉体に同化されてゆくので、ついには自分自身のからだとおなじように、ためらったり、医療器械で治療したり、儀式でも挙げたりしたあとでなくては、思い切って捨てることもできなくなってしまう。
サイコーにクールだよ、HDソローさん!!!!!!
もとが500円であろうが5万円であろうが、何度も着ればボロボロになってしまうけれど、
袖を通すたびに増していく「一体感」
脱ぐ時には「皮膚を剥がされている」ような感覚さえある。
みなさんは、この感覚を味わえるまで
同じ服を着続けたことはありますか????
捨てちゃおう
汚くなったから捨てる
好みと違ってきたから捨てる
あいつと被ったから捨てる
一度も着てないけど捨てる
そんなに消費するんですか?ってハナシ。
そしてまた買う
あの子が着てたから買う
おんなじようなの持ってるけど買う
たぶんほとんど着ないけど買う
そんなにモノ、要りますか?ってハナシ。
わたしのお気に入りのボロボロの服は
肉体と同化し、性格を刻印されたがゆえ
そういった「物質主義」「消費」社会への揶揄までも発するようになってしまったんや…
自分でも何言ってんのか ようわからんが(笑)、このへんで。
それでは。